下水×AIで社会を変えた二人の物語
「下水から病気を見つける」──少し意外に聞こえるかもしれません。けれども、この発想で世界を変えつつある企業が Biobot Analytics(バイオボット・アナリティクス) です。
その背景には、まったく異なる分野から集まった二人の女性がいます。生物学者のマリアナ・マトゥス(Mariana Matus ) と、建築家の ニューシャ・ゲーリー(Newsha Ghaeli)。この記事では、彼女たちがどのようにしてBiobotを生み出し、なぜ下水に注目したのか、そしてそこに込めた想いを紹介します。
二人の出会い
マリアナ・マトゥスはメキシコ出身。子どもの頃から「人間の体と病気の仕組み」に強い興味を持ち、アメリカに渡り、MIT(マサチューセッツ工科大学)で計算生物学の博士号を取得しました。彼女の研究テーマは、「下水に含まれる分子から人々の健康状態を読み解く」というもの。いわば都市全体の健康診断を下水で行うという発想でした。
一方、ニューシャ・ゲーリーはイランに生まれ、カナダで育った建築家。彼女の関心は「都市の仕組みをどうデザインすれば人々の生活がより安全で豊かになるか」というものでした。
二人はMITの「Senseable City Lab」という研究所で出会い、意気投合します。マリアナは「下水は都市の腸のようなものだ」と語り、ニューシャは「都市インフラを健康とつなげる」というアイデアに共鳴しました。異なる学問分野が重なった瞬間、Biobotの種がまかれたのです。
なぜ下水だったのか
私たちが毎日流している水には、ウイルスや細菌、薬物の代謝物、食生活を反映する成分など、実に多くの情報が含まれています。
マリアナとニューシャはこう考えました。
「病院に行く人や検査を受ける人だけでなく、地域に住む全員の健康状態をまとめて知る方法があるとすれば、それは下水ではないか?」
最初に取り組んだのは「オピオイド(鎮痛薬)の使用状況」を下水から推定するプロジェクトです。アメリカでは薬物乱用が社会問題化していましたが、公式統計だけでは全体像をつかめません。下水を調べれば、地域ごとの実態がより正確に見えるはずだと考えたのです。
起業への挑戦
2017年、二人は Biobot Analytics を設立しました。MITの起業支援プログラムや、シリコンバレーの有名アクセラレーター「Y Combinator」にも採択され、資金と人脈を得ました。
とはいえ最初は苦労も多かったそうです。「下水を調べるビジネス」というニッチな発想に、投資家や行政担当者は半信半疑。
しかし二人は諦めませんでした。なぜなら「下水は必ず全員が関わるインフラであり、社会の健康を公平に測るための宝の山だ」と確信していたからです。
COVID-19での転機
Biobotの真価が世界に知られたのは、新型コロナのパンデミックが始まってからです。
臨床検査の数値よりも数日早く、下水からウイルスの遺伝子が検出される──。この事実は「下水が流行の先行指標になり得る」ことを示しました。
Biobotはすぐに体制を整え、アメリカ疾病対策センター(CDC)と協力。全米の下水処理場からサンプルを集め、数千万人規模の「下水疫学ネットワーク」を構築しました。今では 全米人口の約30%をカバーするシステム となり、各州や自治体が感染症対策に役立てています。
小さな研究室から始まったアイデアが、パンデミックを機に世界的な公共インフラの一部に成長したのです。
二人のメッセージ
マリアナ・マトゥスは語ります。
「下水を通じて、医療にアクセスしづらい人、検査を受けない人たちの健康も見えるようになります」
ニューシャ・ゲーリーもこう言います。
「都市全体をもっと賢く、安全にする仕組みをつくりたい」
生物学と建築学という異分野の出会いから始まった挑戦は、「誰も取り残さない健康監視」を実現しつつあります。
まとめ
Biobot Analyticsの物語は、単なるテクノロジーの話ではありません。
「都市の下水」という誰もが関わる場所に注目し、それを社会の健康を守る武器に変えた二人の女性のストーリーです。
マリアナとニューシャの歩みは、私たちにこう問いかけているのかもしれません。
「社会の課題は、異なる視点と学問の出会いからこそ解決できるのではないか?」
コメント